1921年にマックス・ブラウンによってラジオ部品の製造会社として誕生した「BRAUN」。機能とデザイン性を両立させたバウハウスの理念を継承し、歴史に残る名作を生み出しました。今もなお、色褪せることのない究極の造形美は、デザイナーやコレクターを魅了し続けています。
BRAUNデザインチームのディレクターとして約40年間に渡り、500を超える名作を世に送り出した巨匠 ディーター・ラムス。METROCSは、バウハウスの流れを汲むディーター・ラムスのプロダクトを中心に当時の製品を国内外で蒐集してきました。ここではそのコレクションをカテゴリごとにご紹介します。
Hans Gugelot [1920-1965]
1920年、当時オランダの植民地だったインドネシア セレベス島マカッサル生まれ。スイスに渡ったのち、ローザンヌ工科大学で建築を学ぶ。ブラウンのデザインの多くに携わっており、グジェロ率いるデザインチームがブラウンの製品イメージを確立。1950年にはブラウンの代名詞ともいえる電気シェーバー1号機『Sixtant』や、ディーター・ラムスとの共作によるブラウンを代表する一体型オーディオ『SK4』などの名作を世に送り出した。バウハウスの理念を継承したウルム造形大学ではマックス・ビルのアシスタントとして教鞭をとり、その際に二人が手掛けた「ウルムスツール」はあまりにも有名。
Dieter Rams [1932-]
1932年ドイツ、ヴィースバーデン生まれ。ヴィースバーデン工芸美術学校卒業後、1955年ブラウン社に入社し、プロダクトデザインを担当する。機能性を前提にしたシンプルなデザインを基本とし、ブラウン社の歴史に残る数々の名作を生み出した。1988年から1998年までハンブルグ芸術大学のインダストリアルデザイン科教授を務める。ジャーマン・デザイン・カウンシル会長、ベルリン芸術アカデミー会員など、ドイツのデザイン関連において様々な要職を歴任する。ブラウンを退社後も、ベルリンの首相官邸にラウンジチェアが採用されるなど、多数のプロジェクトに参加している。
Dietrich Lubs [1938-]
1938年ドイツ、ハンブルグ生まれ。船舶造形技師を目指す傍らブラウン社に勤務するが、製図技術が認められ1962年にブラウン社のプロダクトデザイン部に配属となる。1971年クロック部門のチーフデザイナーとなり、クロック・電卓部門のデザインを数多く手掛ける。1976年に発表した電卓『ET22』は、人間工学的デザインの見本として絶賛を受ける。1995年ブラウン社のチーフデザイナーに就任。ブラウンのポリシーを象徴するクロック類の殆どを手掛け、優れた機能性と普遍的なデザインを生み出した。その偉大なる功績は、十数年たった現在も多くの人々を魅了し続けている。